先日実家に帰ったときのこと。2Fの自室で資料を探していたら、11年前の京都新聞がいくつか出てきたんです。日付は2004年1月〜6月。「なんだろ、これ?」と思ってパラパラとめくっていると、「新・京まち模様」というタイトルが付けられたコラムが目に飛び込みました。
「あ、これ、自分が書いた記事やん!」そう、僕は当時勤めていた京都の会社で、夕刊に記事を寄稿していたんです。26歳の青臭い文章に恥ずかしくなりながらも、新聞に寄稿していたことを誇りに思い、当ブログにも何回かに分けて転載することにします。
新・京まち模様
今も住民交流が図られる銭湯
小学六年生までお風呂のない家に住んでいた私は、毎日近所の銭湯へ通っていた。周囲にもそのような家庭が多く、夕暮れ時に大勢の人がカランカランとサンダルを鳴らして集まる銭湯は、町内の生活縮図のようだった。
そこでは「お湯をぬるくしすぎてはならない」「むやみに騒いではならない」という一般的な社会的常識を教わり、「きちんと肩までつかる」「自分で身体を洗う」など、基本的な礼儀・作法を親からしつけられた。銭湯は人と人がふれあえる『コミュニケーションスペース』として存在していたのだ。
そんな銭湯も、家庭にお風呂が普及していくことで、個人宅にはないサウナや多種多様なお湯の設備が求められるようになった。最近では、建物の外観・内装を革新させた『スーパー銭湯』が増加。四月には壬生松原にもオープンし、ますます設備が整った銭湯に人気が集まることだろう。
それでは街の銭湯はどうだろうか? 京都には昭和30年頃の最盛期に約600軒ほど営業していたが、現在ではその半分、約270軒ほどになっているそう。問題点としては、経営者の高齢化や後継者不足、建物の老朽化があげられる。それに加えて新規に開業する人もないに等しく、毎年数軒ずつ減っているのが現状だ。
一方で、徐々に姿を消しつつある昔ながらのノスタルジックな銭湯では、新しい試みがなされている。それは情報発信の場として、市民に有益なスペースを提供していることである。寺町三条にある桜湯では、京都造形芸術大学が主催するファッションイベントが行われたり、堺町錦にある銭湯ではライブや落語会などを開催し、市民同士の交流が図られている。
時代が移り変わり、銭湯が減っていくことは否めない。それでも銭湯は、今も昔も人々が集うコミュニケーションスペースとして、変わることのない“場所”をわれわれに与えてくれるのだ。
記事は2004年4月2日のものです。
店舗などの情報は大幅に変更している場合がありますので注意して下さい。